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三田市内の市民グループ

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2011年7月

2011年7月31日 (日)

梨花女子大学

三田から友人が遊びに来ると云うので、ソウルまで出かけました。
ここは韓国一の名門女子大学で、世界でも最大規模の大学だそうです。
時間があったので、有名な建築物を見学したいと思って足を延ばしました。

偶然だったのですが、ちょうど建築学科の卒業設計展も開催されていて、かなりの時間をここで取ってしまいました。
建築学科には卒業論文の代わりに卒業設計と云う最大の課題があって、およそ半年間はこれに集中します。
1枚のパネルと模型、このように目で確認できる成果は手を抜くとすぐに判ってしまうのですが、この中にすべての主張を収める苦労も楽しいものです。

建築学生の素直な夢を感じて、改めて若者たちを見直しました。
正直なところ学生たちはもう夢を無くしてしまったのではないかと心配していましたが、少なくともこの大学の若者は違いますね。

私の卒業設計のテーマは三宮駅前開発でした、実はいまの駅前はほぼ私の提案通りなんです。
当時はまだ国際港の色彩もあったので、ミント神戸の部分はホテルを計画しました。
駅周辺にはバス停が散らばっていたのでバスターミナルとして集約し、今の三田駅前構想と同じようにペデストリアンデッキを提案して、当時「そごう」が三宮では一番元気だったのでそのデッキは当然繋ぎますよね。
およそ40年前の工業高校建築科の高校生の夢を思い出しました。

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ソウル、梨花女子大学 建築学科 卒業設計 作品展
YouTube: ソウル、梨花女子大学 建築学科 卒業設計 作品展

2011年7月26日 (火)

卓越した指導力

昔から知ってはいるのですが(先方は私の事は知らないと思いますが)、最近の活動は特にすごいです。

大学の授業料を払うことが出来なくて中退したのですが、その同じ大学でフォントデザインの勉強をした人物は、美しいフォントを表示させるコンピュータを開発しました。
その彼は創立したパソコン会社を追い出されて、自分が作りたいパソコンが何かを悟ったといいます。
その次には膵臓がんに冒され死に最も近づいた時期があって、自分は何を伝えるべきかを考えたそうです。

彼は試練を乗り越えて、いまでは世界で最も有名な製品を作る会社の責任者になりました。
彼の創る製品には鬼気迫るものを感じます、明日死ぬかもしれないと云う危機感を持って自分の残したい物を創っています。
この製品は機械本体からその操作性にまでこだわって創られていて、ビジネスを超えて芸術だという話も聞こえます。

最高責任者の立場に甘えずに、常に最高の責任を果たし続ける精神力もすごいですが、彼はアメリカのビジネスも勉強していますし、日本のモノづくりも勉強しています。
その上で消費者のニーズも的確に把握しているのでしょう、おそらくスタッフの夢も的確に掴んでいるに違いありません。
世界中で何万人が働いているか解りませんが、その会社では彼を慕って働く人々がほとんどなのです。
スタッフの忠誠心は高く、退社したあとでもそこで働いた事を自慢げに語ります。
世界最高の技術を集め彼が描いた夢通りのモノづくりについて、投資家もまた無条件で賛同していますし、そこに投資をしていない投資家もいつも注視しています。

戦中戦後の混乱期では究極の選択をしたリーダーがカリスマとなり伝説を残しました。
いまビジネス界とモノづくりで究極の選択をしているのが彼ではないでしょうか。
これだけのカリスマを持ったリーダーは最近見かけません。

Stevejobsatnobelprize


2011年7月 7日 (木)

安全情報って?

いつも聞き流しているのですが、、、、
NHKワールドプレミアムの番組で「海外安全情報」というのがあります。
内容はどちらかといえば「海外危険情報」と呼ぶ方が良さそうですね。

1. ○○○国のレストランで爆破テロがありました。
2. ○○○国の政情が不安定になっています。
3. ○○○国ではひったくりが多発しています。

と云うような内容で

1. 人の大勢いるレストランには近づかないでください。
2. 1週間分ぐらいの食料を保存しておいて外出は控えてください。
3. 街中で電話をしながら歩かないでください。

と云う情報を流しているのです。

これだけ脅されるともうどこにも行けない状況ですし、その国に対して風評被害を与えているのではないかと思ってしまいます。

もし、外国が日本の「安全情報」を流すならどんなことになるでしょうか?

 

2011年7月 4日 (月)

たどりついたら

歳をとると、ふっと思い出すのです。

私が高校生のころですから、およそ30年ぐらい前ですね。
モップスというひねくれたバンドがありました。

たどりついたら、いつも雨降り、そんな事の繰り返し♪♪

当時私は若かったのですが、それなりにこの歌詞は響きました。

年をとって、、、、でも今でもこの歌詞の通りなのです。
いつもどしゃ降り、と感じるんですね。

この歌を作ったのは吉田拓郎なんですよ、でも当時の私は彼を好きになれなかったのです。
あとになって解るんですが、モップスと云うグループから吉田拓郎を感じたんですね。

私の中では「星 勝」という人物が近代日本ポップスの伝説なんです。
初めて見たのは労音でチケットをゲットしてフェスティバルホールで「井上陽水」のバックでギターを弾いていた時です。
彼の編曲と演奏は私をめった打ちにしたのです、このとき編曲という仕事に敬意を感じた瞬間なんです。
陽水は当時でも平凡ではなかったけど、その特徴を発揮させたのは彼の功績だと思っています。
異国のロックを歩みながら学びながら、新しい日本の演歌を開拓したのですね。
たぶん。
これを当時の日本はニューミュージックと称することにしたのでしょう。
、、、と思っています。

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